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東京高等裁判所 平成7年(行コ)164号 判決

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本件訴えのうち、被控訴人東京都千代田区(以下「被控訴人区」という。)、被控訴人東京都千代田区議会(以下「被控訴人区議会」という。)、被控訴人東京都千代田区長(以下「被控訴人区長」という。)及び被控訴人東京都千代田区教育委員会(以下「被控訴人委員会」という。)に対し、永田町小学校の廃止に係る本件各処分及び本件指定の各取消しを求めるものは、いずれも不適法であり、また、被控訴人区に対する損害賠償請求は理由がないと判断する。その理由は次のとおり付加するほかは、原判決の理由説示のとおりであるからこれを引用する(但し、原審甲・乙・丙事件原告亡戊田竹子の請求に関する部分を除く。)。

1  原判決書三七頁六行目の「地方公共団体」から三八頁七行目末尾までを次のとおり改める。

「普通地方公共団体及び特別地方公共団体である東京都の区は、学校を設置し、教育に関する事務を処理するものとされ(地方自治法二条三項五号、二八一条二項)、東京都の区を含む地方公共団体の教育委員会は、その執行機関として、学校の設置、管理及び廃止に関する事務を管理し、執行するものとされ(地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条一号)、さらに、市町村及び東京都の区はその区域内の学齢児童を就学させるのに必要な小学校を設置しなければならないとされている(学校教育法二九条、八七条)ことからすれば、公立小学校の設置の主体は市町村及び東京都の区であるといえる。

他方、公立小学校は地方自治法二四四条に定める「公の施設」に当たるものであり、その設置及び管理に関する事項は、法律又はこれに基づく政令に特別の定めがない限り、条例でこれを定めることとされており(同法二四四条の二第一項)、その廃止も右と同様に条例で定めるべきものと考えられるから、公立小学校の廃止はその設置に関する条例の改廃によりされるものであり、結局、永田町小学校の廃止は、被控訴人区による本件条例の制定によりされたものということができる。」

2  原判決書三八頁九行目から三九頁七行目末尾までを次のとおり改める。

「地方公共団体の行う条例の制定は、通常は、一般的、抽象的な規範を定立する立法作用の性質を持つものであり、そのような条例を制定する行為は、原則として個人の具体的権利義務に直接の効果を及ぼすものではなく、抗告訴訟の対象となる処分ということはできない。

もっとも、条例の形式をとっている場合であっても、他に行政庁の具体的処分をまつまでもなく当該条例そのものによってその適用を受ける特定個人の具体的な権利義務や法的地位に直接影響を及ぼすような場合には、条例の制定行為自体をもって、抗告訴訟の対象となる行政処分と解する余地もないではない。」

3  原判決書三九頁一一行目の「原告らは、」から四〇頁一〇行目の「認めることはできない。」までを次のとおり改める。

「本件条例は、小学校についていえば、千代田区に設置されていたすべての区立小学校(一四校)を廃止し、新たに区立小学校八校を設置することを内容とするもので、その内容自体一般的なものであって特定の個人に向けられたものではなく、また、控訴人らは、その子女に市町村(あるいは東京都の区)が設置する学校において法定年限の普通教育を受けさせる権利ないし利益を有するものではあるが(憲法二六条、教育基本法三、四条、学校教育法二九条等)、右権利ないし利益は、市町村等が社会生活上通学可能な範囲内に設置する学校で教育を受けさせることができるというに止まり、具体的に特定の学校で教育を受けさせることまでをも含むものとは考えられない。控訴人らが、その子女を永田町小学校に通学させ、同校で教育を受けさせることができたのは、永田町小学校が設置されて、一般の利用に供せられ、同校を就学校として指定されていたことによるものであって、控訴人らが既得権として主張する、その子女に永田町小学校で教育を受けさせるという利益は、事実上の利益に過ぎず、これをもって、法的に保護された権利あるいは法的地位ということはできない。そして、永田町小学校の廃止後に新たに設置され、控訴人らの児童が就学校として指定を受けた千代田麹町小学校は、永田町小学校から直線距離にして約八〇〇メートルしか離れておらず(成立に争いない乙第七号証、弁論の全趣旨により認める。)、永田町小学校に通学していた児童にとって、社会生活上通学することが不可能なものとは考えられない。

なお、控訴人らは、学校教育法施行令八条、五条二項により、市町村等の教育委員会は、相当と認めるときは、保護者の申立により、その指定した小学校又は中学校を変更することができる旨定められていることを根拠に、その反面において、いったん就学校を指定した後は教育委員会による就学校の変更は制限されているのであって、これはいったん就学校を指定された後の保護者について、引き続きその学校で子女に教育を受けさせる法的利益があることを認めているものにほかならない旨主張する。しかしながら、右学校教育法施行令五条二項又は八条による教育委員会の就学校の指定又はその変更は、当該市町村等の設置する就学可能な複数の学校の存在を前提としており、その限りで保護者に一種の学校の選択の余地を認めているにすぎず、右規定の趣旨から、本件におけるような学校廃止の場合についてまで、特定の小学校で引き続き教育を受けさせる権利ないし法的利益が認められていると読み取ることは困難である。したがって、右規定を根拠とする控訴人らの右の主張は採用することができない。」

4  原判決書四一頁九行目の「地方公共団体」を「普通地方公共団体及び特別地方公共団体である東京都の区」と、同一〇行目の「一号)、地方公共団体」を「一号、二八三条一項)、東京都の区を含む地方公共団体」と、同一一行目の「三項」を「三項、二八三条一項」と改める。

5  原判決書四五頁三行目の「第四号証の一、」の次に「第一四号証、」を、同行の「乙第四号証、」の次に「第六、」を、同四行目の「第一七号証の一、二、」の次に「第二四ないし第二七号証、」をそれぞれ加え、同五行目の「甲第六、第七号証」から「第一八号証」までを「甲第五ないし第九号証、第一六ないし第二二号証」と改め、同六行目の「第五六号証、」の次に「第八八号証、」を、同行の「第一〇六号証、」の次に「第一一九号証、」をそれぞれ加える。

6  原判決書四六頁七行目の「六校の区立小学校において」を「区立小学校中の六校において」と改め、同四九頁四行目の「被告区においては、」の次に次のとおり加える。

「昭和三〇年代以降の前記区内児童数の減少傾向を背景として、既に昭和五三年六月には、学校教育の分野に関して「学校規模の適正化を図る」ことをうたった「千代田区基本構想」が策定され、昭和五五年一月には右構想に基づき「千代田区基本計画」が策定され、その中で、学校教育の領域体系図に、「学校規模の適正化を進めるため、学校教育等検討のための組織」が位置付けられ、これが前記被控訴人委員会における昭和六〇年五月の第一次教育条件検討会の設置に結び付くことになった(乙第一七号証の一)。そして」

7  原判決書四九頁五行目の「配置などについて検討する」の次に「内部的検討組織として、」を加え、同一〇行目から一一行目にかけての「その存続のために努力を重ねることを求めた」を「学校がコミュニティの核として重要な役割を果たしてきていることを重視すべきであり、したがって、学校存続のためあらゆる努力を重ね、コミュニティの再建を図ることが必要である、とした」と改める。

8  原判決書五〇頁一行目の「その後、被告区では」の次に「平成三年四月ころからの被控訴人委員会事務局内部での検討の結果を踏まえ、同年八月、」を加え、同三行目の「平成三年」を「同年」と改める。

9  原判決書五一頁一行目の「これによって」を「また、永田町小学校においては、右一二月二一日に全校児童に対し校長から同小学校が廃止になる予定であることを伝えるとともに、右の区の広報「千代田」及び教育広報「かけはし」を児童に持ち帰らせた。これらによって」と改め、同三行目から四行目にかけての「(なお、永田町小学校の校長」から六行目末尾までを、行を変えて次のとおり改める。

「永田町小学校の校長その他の職員に対しては、右永田町小学校の実質的な廃止予定を含む公適配構想の発表の前にこれが告知されることはなく、平成三年一一月の千代田区の校長会(乙第二四号証)において小学校が八校となる旨の内容の公適配構想案の教育施設関係部分の説明がなされるなどしたのみであったため、永田町小学校の校長その他の職員は、右公適配構想が公表された平成三年一二月二〇日より前には永田町小学校が実質的に廃止となることは知らなかった(もっとも、被控訴人区による公共施設適正配置に関する前記の検討過程においては、昭和六三年一一月に区民集会(区議会及び町会連合会主催)において「公共施設のあり方について」をテーマに議論されたのをはじめ、平成元年八月には区政モニターによる「公共施設の適正配置」に関する意見聴取や、平成元年以降毎年の区長による区政懇談会におけるテーマに取り上げるなどして、公共施設の適正配置の在り方に関する住民への説明ないし意見聴取が行われていた。)。」

10  原判決書五三頁五行目の「被告委員会は、」の次に「新たな通学区域に基づいて機械的に指定することを避け、」を加え、同七行目の「千代田麹町小学校と指定した」を「本件条例により新設された千代田麹町小学校(本件条例による改正前の麹町小学校所在地にその施設を利用して設置されたもの。なお、その後、千代田麹町小学校の児童の保護者に対するアンケートを実施した後、改めて条例の改正が行われ、平成六年三月ころから再び「麹町小学校」となった。)と指定し、その余の児童については、一部を除き新設の千代田番町小学校と指定した」と改め、同五四頁一行目の次に行を改めて次のとおり加える。

「ちなみに、千代田区においては、昭和五七年度に帰国子女教育研究協議会が発足し、文部省の帰国子女教育受入推進地域の指定を受けて積極的に帰国子女の受入れを進めてきた歴史があり、とりわけ昭和五八年に文部省の帰国子女教育研究協力校・地域指定センターの指定を受けた永田町小学校を中心とした帰国子女教育や国際理解教育の実践、研究の推進は、全国的にも注目されるところとなっていた。」

11  原判決書五四頁八行目の「なお、」から一一行目末尾までを「なお、控訴人らの子女のうち、控訴人甲野の子の春子は平成六年三月に他の小学校に転校し、控訴人乙山の子供の一郎(六年生)を除き、右春子を含むその余の子達はいずれも既に小学校を卒業し、中学校に進学した。」と、五五頁七行目の「被告委員会から」を「平成三年一月に被控訴人委員会から」と改め、同五六頁七行目の「同月三〇日、」の次に「就学希望期間を平成三年九月二日より平成七年三月三一日として」を加え、同行の「翌九月」を削る。

12  原判決書五九頁四行目の「しかし、」を次のとおり改める。

「確かに、校内暴力、いじめ或いは過度の進学競争等が社会問題化し、保護者がその子女の進学する学校に大きな関心を払い、私立学校を選択する者も少なくないうえに、公立学校に通う場合でもいわゆる越境入学が珍しくないというような教育を巡る社会及び家庭の情況並びに意識の変化に加えて、転校が児童の就学環境に大きな変化をもたらし、大きな苦痛を与える可能性もある等の当裁判所に顕著な事実を前提にするとき、公立小学校を廃止する場合には、これについて時間をかけて地域住民や現に通学している児童の保護者を初めとする利害関係者の意見を十分に聞くことが望ましいことはいうまでもない。この点については、既に昭和四八年九月において、文部省初等中等教育局長及び文部省管理局長連名通達「公立小・中学校の統合について」の中で、「学校規模を重視する余り無理な学校統合を行い、地域住民との間に紛争を生じたり、進学上著しい困難を招いたりすることは避けなければならない。」、「学校統合を計画する場合には、学校の持つ地域的意義等をも考えて、十分に地域住民の理解と協力を得て行うよう努めること。」が指摘され(原本の存在成立ともに争いのない甲第一二号証)、また、文部省大臣官房文教施設部作成の「小学校施設整備指針」(前同甲第一三号証。証人大川恭司の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件の公適配構想の検討段階で既に発出されていたものと認められる。)によれば、学校施設整備の基本的留意事項として、「当該学校施設の整備の方針、内容等に関し、父母、地域住民等に対し、早い段階から説明等を行うことが望ましいこと」が指摘されていたのであり、永田町小学校が名実ともに廃校になることを含む公適配構想が公表された翌日の平成三年一二月二一日に初めて同小学校の保護者に対する周知の方法が採られ、同小学校の校長その他の職員にさえ右公表の日までその具体的内容が知らされていなかったこと、公適配構想あるいは永田町小学校の廃校等に対する各般の反対運動が起こった等の前認定の経過に照らせば、公適配構想ないし本件条例の制定、公布に関与し、これを推進した被控訴人らには、その抵抗なき実現を望むあまり、右通達の指摘する当然の留意事項に対する配慮がいささか欠けていたといわざるを得ない(なお、甲第一三三号証の平成八年三月二七日開会の千代田区議会会議録によれば、中学校の適正配置に関する質疑において、被控訴人区の執行部から「小学校の適正配置の経過を踏まえ、手順、手続を大切にし、地域や関係者の最大公約数の具体的な意見のとりまとめに配慮して推進していきたい。」との答弁がされている。)。

しかし、他方で、本件永田町小学校の廃校は、区立の公共施設全体の適正配置を検討する一環としてなされたものであり、その施策の推進については事柄の性質上利害の必ずしも一致しない多数の関係者が存在することは容易に予想できることであり、計画案の段階でその内容のすべてを関係者に明らかにしつつその意向を聴取することが困難であったり、ふさわしくない問題があり得ることも理解できないではない。したがって、どの範囲の者につき、どの程度の意向の聴取をするかについては、原則として右計画を立案して実行する者の裁量に委ねられているものと考えざるをえない。そして、」

13  原判決書五九頁九行目の「前記認定の経緯に照らせば」から一一行目末尾までを次のとおり改める。

「前記認定の経緯に照らせば、本件条例の制定過程において、その案が確定する以前の段階で利害関係者の意向を聴取し、その納得を得る努力に欠ける点があったといわざるを得ないにしても、前記文部省の通達も施策遂行上の留意事項の指摘の域を出るものではなく、未だ本件条例の制定、施行の過程に憲法や法令の要求する手続を欠いた点があったとまでいうことはできず、永田町小学校の廃止の手続に違法があるとはいえない。」

14  原判決書六二頁六行目の「平成四年三月末日」から同八行目末尾までを次のとおり改める。

「平成五年三月末日とすることもやむをえないというべきであり、その後、前記認定の各種反対運動、要請、陳情活動、区議会における審議等を経て公適配構想の見直しが行われ、平成八年三月段階においては、区議会において、予算特別委員長から「公適配構想は、役割を終えたものとする。」等の見解が表明され、被控訴人区長以下の執行機関も右見解を受け入れている等の事実(前記認定のほか、前掲甲第一七号証、乙第一七号証の一、二、原本の存在、成立に争いのない甲第一〇八号証の一ないし三、成立に争いのない甲第一三二、一三三号証、証人大山恭司、同伊沢一弘の各証言による。)を考慮しても、本件条例に基づく右廃止の時期の点についても不合理なところはないといわざるを得ない。」

15  原判決書六六頁四行目の「前示のとおりであるが、」を次のとおり改める。「前示のとおりであり、当時既に区立小学校の配置を見直す前提で公適配構想が検討されており、伊沢教育長はその立場上、当然その検討経過を知っていたのであり、かつ、右構想が検討されていること自体は控訴人丁原に対しても秘密とすべき事項とは考えられないところであるから、千代田区立の小学校について配置の見直しが検討されていることに言及した上で、編入の選択をさせることが望ましかったとはいえよう。しかし、」

16  原判決書六七頁一行目の「前示のとおりであるが、」を「前示のとおりであり、当時蓮池校長は、定例校長会等を通じて被控訴人委員会又は教育長から公適配構想の被控訴人区及び同委員会内部における検討の動きを概括的ながら聞知していたものと窺える(成立に争いのない乙一八号証、第二一号証、第二二号証)ところであるから、右面談の際に、千代田区立の小学校について配置の見直しの検討が行われていることに言及して編入の選択をさせることも考えられなくはないところである。しかし、」と、同五行目の「(なお、」から「同七行目の「できない。)」までを次のとおり改める。

「(なお、被控訴人区長又は同委員会の教育長以下の職員が、公適配構想の検討の過程において、いわゆる教育現場の責任者である右校長らに、その検討経過をつぶさに知らせず、ことに永田町小学校の実質的廃校については平成三年一二月二〇日の構想公表まで知らせた形跡が認められないことは適切を欠く運び方といわざるを得ないが、そうだとしても、これを違法であるとまで評価することはできない。)」

17  原判決書六八頁一行目の「前示のとおりであるが」を次のとおり改める。「前示のとおりであり、少なくとも控訴人戊田及び同丙川に関する平成三年四月ころ以降は、被控訴人委員会事務局内部での検討の積み重ねを経て、同年八月ころには既に永田町小学校の廃止を前提とする被控訴人区の企画部作成にかかる「公共施設適正配置構想(素案)」が被控訴人委員会を含む区役所内部の関係部署には公にされ、検討されている段階であったものであるから(前記認定のほか、証人大山恭司の証言による。)、少なくとも控訴人戊田及び同丙川の関係では、その区域外就学の承諾に当たって、永田町小学校を含む千代田区内の区立小学校の配置の見直しの可能性について何らの留保も付けないまま承諾を与えた被控訴人委員会の措置は、いささか妥当性を欠くものといわなければならない。しかし、」

18  原判決書六八頁二行目の「原告丁原が平成三年一月、同戊田が同年八月」を「控訴人丁原が平成三年一月から二月ころ、同戊田が同年八月末から九月初めころ」と改め、同四行目の「事柄の性質」の次に「及び既に永田町小学校長が右控訴人らに受入れの方向を示していたことが被控訴人委員会にも伝えられていたものと推認できること」を、同五行目の「状況の下で」の次に「帰国子女の受入校の相談ないし」をそれぞれ加え、同六行目の「義務があると」を「義務があるとまで」と改める。

二  以上のとおりであるから、原判決は相当であって本件控訴をいずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 田村洋三 裁判官 鈴木健太)

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